映画内映画・心理ドラマ · 1963
8 1/2批評:創作できない映画監督の内面を映画にする
『8 1/2』は、新作映画を準備しながら何を撮るべきかわからなくなった映画監督グイド・アンセルミの内面を、現実、記憶、夢、欲望、自己演出が入り混じる形式で描いた映画内映画・心理ドラマである。フェデリコ・フェリーニは、創作の行き詰まりそのものを映画の主題とし、作れないことを映画にすることで、映画表現の新しい可能性を切り開いた。
批評を読むALL CRITICISM
作品のあらすじを入口に、テーマ、構造、象徴、社会背景まで読み解く批評記事を収録しています。
映画内映画・心理ドラマ · 1963
『8 1/2』は、新作映画を準備しながら何を撮るべきかわからなくなった映画監督グイド・アンセルミの内面を、現実、記憶、夢、欲望、自己演出が入り混じる形式で描いた映画内映画・心理ドラマである。フェデリコ・フェリーニは、創作の行き詰まりそのものを映画の主題とし、作れないことを映画にすることで、映画表現の新しい可能性を切り開いた。
批評を読むネオレアリズモ・社会派 · 1948
『自転車泥棒』は、戦後ローマでようやく仕事を得た男アントニオが、仕事に必要な自転車を盗まれ、息子ブルーノとともに街を探し回るネオレアリズモ・社会派映画である。ヴィットリオ・デ・シーカは、一本の自転車を通して、貧困、労働、父子、社会の冷たさ、人間の尊厳がどのように崩れていくのかを描いた。
批評を読む哲学映画・宗教映画 · 1957
『第七の封印』は、十字軍から帰還した騎士アントニウス・ブロックが、黒死病に覆われた中世ヨーロッパを旅しながら、死神とチェスを行い、神の沈黙と信仰の意味を問い続ける哲学映画・宗教映画である。イングマール・ベルイマンは、死の恐怖を寓話的な映像に変え、信仰の確信ではなく、答えのない問いを抱えた人間の姿を描いた。
批評を読む心理ドラマ・実験映画 · 1966
『ペルソナ』は、舞台上で突然沈黙した女優エリーザベト・フォグラーと、彼女を看護する看護師アルマの関係を通して、仮面、沈黙、演技、自我の境界を描く心理ドラマ・実験映画である。イングマール・ベルイマンは、二人の女性の顔と言葉の非対称な関係を通して、他者を見ること、語ること、同一化することの危うさを鋭く描いた。
批評を読む青春映画 · 1959
『大人は判ってくれない』は、家庭にも学校にも居場所を見つけられない少年アントワーヌ・ドワネルが、大人社会の規則から少しずつはみ出していく青春映画である。フランソワ・トリュフォーは、少年の非行を道徳的に裁くのではなく、理解されない孤独、教育制度の硬さ、家庭の冷たさ、逃走への衝動として描き、ヌーヴェルヴァーグの重要な出発点を作った。
批評を読むヌーヴェルヴァーグ・犯罪 · 1960
『勝手にしやがれ』は、車を盗み警官を撃った若者ミシェルと、アメリカ人女性パトリシアの関係を通して、犯罪映画の物語を解体しながら若者の自由と空虚を描いたヌーヴェルヴァーグの代表作である。ジャン=リュック・ゴダールは、ジャンプカット、即興的な会話、映画への引用、街頭撮影によって、それまでの映画文法を揺さぶり、映画史の新しい感覚を切り開いた。
批評を読むSF・実験映画 · 1962
『ラ・ジュテ』は、第三次世界大戦後の廃墟となった世界を舞台に、幼い頃の記憶に取り憑かれた男が、過去と未来をめぐる時間実験に巻き込まれていくSF・実験映画である。クリス・マルケルは、ほぼ全編を静止画で構成することで、映画が本来持つ運動を止め、記憶、時間、喪失の感覚を鋭く浮かび上がらせた。
批評を読むコメディ・食文化 · 1985
『タンポポ』は、寂れたラーメン店を営む女性タンポポが、流れ者のトラック運転手ゴローたちの助けを借りて理想の一杯を目指すコメディ・食文化映画である。伊丹十三は、ラーメン作りの物語を軸にしながら、食べること、欲望、職人技、共同体、幸福をめぐる多彩なエピソードを重ね、食文化そのものを映画の主役にした。
批評を読む人間ドラマ · 2008
『おくりびと』は、チェリストとしての道を断たれた小林大悟が、故郷に戻り、納棺師という死者を送る仕事に出会う人間ドラマである。滝田洋二郎は、死を忌避されるものとしてではなく、残された人々が生を受け止め直すための儀式として描き、職業への偏見、人間の尊厳、家族との和解を静かに見つめた。
批評を読む家族ドラマ・社会派 · 2018
『万引き家族』は、東京の片隅で貧しく暮らす柴田治、信代、祥太、ゆりたちを通して、血縁ではなく生活の共有によって作られる家族の姿を描く家族ドラマ・社会派映画である。是枝裕和は、貧困、制度、虐待、万引き、血縁、愛情を絡めながら、家族とは何によって成立するのかを問い直した。
批評を読むアニメ映画・恋愛SF · 2016
『君の名は。』は、東京に暮らす少年・立花瀧と、山深い町に暮らす少女・宮水三葉が、夢の中で身体を入れ替える不思議な体験を通して結びついていくアニメ映画・恋愛SFである。新海誠は、入れ替わり、時間のズレ、災害の記憶を重ねながら、名前を忘れても消えない感情と、失われたものへ手を伸ばす物語を描いた。
批評を読むアニメ映画・戦争 · 1988
『火垂るの墓』は、戦争末期の日本を舞台に、清太と節子という兄妹が空襲によって生活の基盤を失い、家族、食べ物、住まい、社会的な支えを少しずつ奪われていくアニメ映画・戦争映画である。高畑勲は、戦争を英雄譚や大きな歴史の物語としてではなく、子どもの生活が崩壊していく過程として描いた。
批評を読むアニメ映画・SFファンタジー · 1984
『風の谷のナウシカ』は、巨大産業文明が崩壊した後の汚染された世界を舞台に、風の谷の王女ナウシカが、腐海、王蟲、戦争、人間の恐怖と向き合うアニメ映画・SFファンタジーである。宮崎駿は、自然を単純な善として描くのではなく、人間が理解できない巨大な生命の循環として描き、汚染された世界で共生を探る物語を作り上げた。
批評を読むアニメ映画・SF · 1997
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の終盤を別の形で描き直し、碇シンジ、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレー、葛城ミサトたちの崩壊と選択を、世界の終末と人類補完計画の中で描くアニメ映画・SFである。庵野秀明と鶴巻和哉は、他者と一つになりたい欲望と、他者と向き合う痛みを、ロボットアニメ、宗教的イメージ、心理劇、終末映画の形式で描いた。
批評を読むアニメ映画・人生ドラマ · 2001
『千年女優』は、かつて大女優として活躍した藤原千代子の人生を、取材に訪れた映画監督・立花源也とカメラマン井田恭二が追体験していくアニメ映画・人生ドラマである。今敏は、映画の役柄、個人の記憶、日本映画史、ひとりの女性の追跡の人生を重ね合わせ、現実と虚構が溶け合う独自の映画体験を作り上げた。
批評を読むアニメ映画・心理スリラー · 1997
『パーフェクトブルー』は、アイドルから女優へ転身しようとする霧越未麻が、ファンの視線、メディアのイメージ、過去の自己像に追い詰められていくアニメ映画・心理スリラーである。今敏は、見られる自己と本当の自己の境界が崩れる過程を通して、アイドル文化、メディア消費、自己分裂の恐怖を描いた。
批評を読むバイオレンス・社会派 · 2000
『バトル・ロワイアル』は、国家によって選ばれた中学生たちが無人島で殺し合いを強制されるバイオレンス・社会派映画である。深作欣二は、極端な暴力設定を通して、国家による管理、教育制度への不信、若者への恐怖、世代間の断絶、そして生き残るために他者を殺すことを強いられる社会の寓話を描いた。
批評を読むサイバーパンク・ホラー · 1989
『鉄男』は、平凡な男の身体が金属と機械に侵食されていく過程を、激しい映像と音響で描いたサイバーパンク・ホラーである。塚本晋也は、肉体、機械、都市、欲望が融合していく悪夢を通して、身体が変容することへの恐怖と快楽を日本的な地下映画の感覚で描いた。
批評を読む怪談・幻想映画 · 1965
『怪談』は、ラフカディオ・ハーンの怪談作品をもとに、小林正樹が日本的な怪異の世界を圧倒的な様式美で映像化した怪談・幻想映画である。『黒髪』『雪女』『耳なし芳一の話』『茶碗の中』という複数の物語を通して、死者の記憶、約束、罪、語り継がれる怨念、人間と異界の境界を描いている。
批評を読む時代劇・人間ドラマ · 1954
『山椒大夫』は、権力に逆らった父の教えを胸に生きる姉弟・安寿と厨子王が、母・玉木と引き離され、過酷な運命に投げ込まれていく時代劇・人間ドラマである。溝口健二は、家族の離散と奴隷制の残酷さを通して、人間の尊厳が制度によって奪われる世界と、それでも消えない慈悲の倫理を描いた。
批評を読む時代劇・社会派 · 1962
『切腹』は、江戸時代初期を舞台に、浪人・津雲半四郎が井伊家の屋敷を訪れ、切腹を願い出ることから始まる時代劇・社会派映画である。小林正樹は、武士道という名誉の言葉の下に隠された制度の冷酷さ、貧困に追い詰められた人間の尊厳、そして家の面目を守るために真実を隠す権力の偽善を描いた。
批評を読む人間ドラマ · 1952
『生きる』は、役所で長年働いてきた市民課長・渡辺勘治が、自分の余命を知ったことで、空虚だった人生と仕事の意味を問い直していく人間ドラマである。黒澤明は、死を前にしたひとりの官僚の変化を通して、官僚制、老い、家族、仕事、そして人が本当に生きるとはどういうことかを描いた。
批評を読む心理ドラマ・ブラックコメディ · 2014
『バードマン』は、かつてスーパーヒーロー映画で名声を得た俳優リーガン・トムソンが、ブロードウェイの舞台で再起を図る心理ドラマ・ブラックコメディである。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは、過去の名声、俳優の自己像、芸術への承認欲求、そして世間に忘れられる恐怖を、ワンカット風の映像と内面の声を通して描いた。
批評を読む音楽・心理ドラマ · 2014
『セッション』は、名門音楽学校でジャズドラマーとして成功を目指すアンドリュー・ニーマンと、苛烈な指導者テレンス・フレッチャーの関係を描いた音楽・心理ドラマである。デイミアン・チャゼルは、才能を伸ばすという名目の暴力、承認欲求、自己破壊、そして偉大さへの執着を、演奏シーンの緊張とともに描いた。
批評を読む伝記・社会ドラマ · 2010
『ソーシャル・ネットワーク』は、マーク・ザッカーバーグがFacebookを創業していく過程を、友情、承認欲求、裏切り、訴訟の構造から描いた伝記・社会ドラマである。デヴィッド・フィンチャーは、世界中の人々をつなげる技術の誕生を、誰よりもつながりを求めながら孤独を深めていく人物の物語として描いた。
批評を読む犯罪・ブラックコメディ · 1996
『ファーゴ』は、金に困った自動車販売員ジェリーが、妻の偽装誘拐を計画したことから、思いもよらない殺人と混乱が広がっていく犯罪・ブラックコメディである。コーエン兄弟は、雪に覆われた平凡な土地を舞台に、小さな欲望、浅はかな嘘、偶然、そして日常的な倫理の強さを描いた。
批評を読む犯罪・群像劇 · 1994
『パルプ・フィクション』は、ギャング、殺し屋、ボクサー、ボスの妻、強盗たちの物語を、時間を組み替えた構成で描く犯罪・群像劇である。クエンティン・タランティーノは、犯罪映画の定型を引用しながら、会話、偶然、暴力、ポップカルチャーを組み合わせ、1990年代映画の語り方を大きく変えた。
批評を読む心理ドラマ・ミステリー · 2001
『マルホランド・ドライブ』は、記憶を失った女性リタと、女優を夢見てハリウッドへやってきたベティの出会いを軸に、夢、欲望、映画産業、自己崩壊、幻想を描く心理ドラマ・ミステリーである。デヴィッド・リンチは、夢のように断片化された物語を通して、ハリウッドの成功神話と、その裏側にある挫折、嫉妬、愛の破綻を描いた。
批評を読むミステリー・心理ドラマ · 1986
『ブルーベルベット』は、平穏な郊外の町で暮らす青年ジェフリーが、切断された耳を発見したことをきっかけに、歌手ドロシーと暴力的な男フランクをめぐる闇へ踏み込んでいくミステリー・心理ドラマである。デヴィッド・リンチは、明るく清潔なアメリカ郊外の表面の下に、暴力、欲望、覗き見、支配の世界が潜んでいることを描いた。
批評を読む恋愛・コメディ · 2001
『アメリ』は、パリ・モンマルトルで暮らす内気な女性アメリが、他者の人生に小さな幸福をもたらそうとする恋愛・コメディである。ジャン=ピエール・ジュネは、鮮やかな色彩と童話的な映像表現を通して、想像力によって世界を編集する少女のような主人公が、他人に介入することで自分自身の孤独と向き合っていく過程を描いた。
批評を読む恋愛・SF · 2004
『エターナル・サンシャイン』は、別れの痛みに耐えられなくなった男女が、互いの記憶を消す処置を受ける恋愛・SF映画である。ミシェル・ゴンドリーは、記憶を消すという設定を通して、恋愛の幸福と苦痛、喪失と反復、そして消したい記憶こそが自己を形作っているという逆説を描いた。
批評を読むSF・風刺 · 1998
『トゥルーマン・ショー』は、平凡な人生を送っていると思っていた男トゥルーマン・バーバンクが、自分の世界そのものが巨大なテレビ番組として作られていたことに近づいていくSF・風刺映画である。人生、家族、恋愛、街、天候までも演出された世界から抜け出す姿を通して、監視社会とメディア消費、そして自由への欲望を描く。
批評を読む犯罪・社会派 · 1975
『狼たちの午後』は、銀行強盗に失敗したソニーとサルが人質を取り、警察、群衆、テレビメディアを巻き込む一日を描いた犯罪・社会派映画である。シドニー・ルメットは、犯罪者がメディアと群衆の視線によって奇妙な英雄へ変わっていく過程を通して、1970年代アメリカ社会の不信、同情、怒り、見世物化を描いた。
批評を読む社会派ドラマ・風刺 · 1976
『ネットワーク』は、視聴率低迷で降板を告げられたニュースキャスター、ハワード・ビールの暴走をきっかけに、テレビ局が怒りや狂気さえ番組商品として利用していく社会派ドラマ・風刺映画である。シドニー・ルメットは、メディアが現実を伝える装置から、現実そのものを消費する装置へ変わる恐怖を描いた。
批評を読む法廷劇・会話劇 · 1957
『十二人の怒れる男』は、殺人事件の評決をめぐって十二人の陪審員が密室で議論する法廷劇・会話劇である。シドニー・ルメットは、ひとりの少年の有罪無罪をめぐる議論を通して、民主主義、偏見、正義、市民の責任を緊張感ある密室劇として描いた。
批評を読むサスペンス・心理ドラマ · 1958
『めまい』は、高所恐怖症を抱えた元刑事スコティが、謎めいた女性マデリンを追ううちに、愛、喪失、執着、再制作の欲望へ沈んでいくサスペンス・心理ドラマである。ヒッチコックは、女性そのものではなく、失われた女性像を作り直そうとする男の視線と支配欲を描いた。
批評を読むサスペンス · 1954
『裏窓』は、足を骨折して部屋から動けない写真家ジェフが、向かいのアパートの住人たちを観察するうちに不穏な事件の気配を感じ取っていくサスペンス映画である。ヒッチコックは、見ることの快楽、覗き見の危うさ、観客の共犯性を、映画を見る行為そのものに重ねて描いた。
批評を読む恋愛・戦争ドラマ · 1942
『カサブランカ』は、第二次世界大戦下のモロッコを舞台に、酒場を営むリック、かつての恋人イルザ、反ナチス運動の象徴であるヴィクター・ラズロの再会と選択を描く恋愛・戦争ドラマである。個人の愛が、戦争という時代の中で、より大きな歴史的責任へ変わっていく構造を描いた作品である。
批評を読むフィルムノワール・ミステリー · 1974
『チャイナタウン』は、私立探偵ジェイク・ギテスが不倫調査をきっかけに、ロサンゼルスの水利権、都市開発、家族の秘密、権力の腐敗へ巻き込まれていくフィルムノワール・ミステリーである。個人の推理が真相へ近づくほど、世界の腐敗を変えられない無力さが露わになる。
批評を読む犯罪・叙事詩 · 1984
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は、ニューヨークのユダヤ系移民街に育った少年たちが、友情、犯罪、欲望、裏切りの中で長い人生を歩む犯罪・叙事詩である。セルジオ・レオーネは、ギャングの成功と破滅を直線的に描くのではなく、老いたヌードルスの記憶を通して、失われた時間と取り返せない人生を描いた。
批評を読む犯罪・ギャング映画 · 1983
『スカーフェイス』は、キューバ移民トニー・モンタナがアメリカで麻薬王へ成り上がり、欲望と暴力によって自滅していく犯罪・ギャング映画である。成功への飢えが、所有、支配、誇示、自己肥大へ変わっていく過程を通して、アメリカン・ドリームの暗い裏面を描く。
批評を読む犯罪・ギャング映画 · 1990
『グッドフェローズ』は、ギャングに憧れた少年ヘンリー・ヒルが裏社会の共同体へ入り、金、暴力、仲間意識、消費の快楽に飲み込まれていく犯罪・ギャング映画である。スコセッシは、ギャングの世界を魅惑的に見せながら、その共同体が裏切りと恐怖によって崩壊していく過程を描いた。
批評を読む犯罪・アクション · 1995
『ヒート』は、ロサンゼルスを舞台に、強盗団を率いるニール・マッコーリーと、彼を追う刑事ヴィンセント・ハナの対決を描いた犯罪・アクション映画である。マイケル・マンは、刑事と犯罪者を単純な善悪ではなく、仕事に人生を捧げた対称的な職業人として描き、プロ意識と孤独の代償を浮かび上がらせた。
批評を読む犯罪・ミステリー · 2007
『ゾディアック』は、連続殺人事件と犯人からの暗号文に翻弄される新聞記者、刑事、漫画家を描いた犯罪・ミステリー映画である。デヴィッド・フィンチャーは、犯人探しの快感よりも、答えの出ない事件に取り憑かれた人々の人生が時間とともに削られていく過程を冷徹に描いた。
批評を読む犯罪・社会派 · 2003
『殺人の追憶』は、韓国の地方都市で起きる連続殺人事件を追う刑事たちを描いた犯罪・社会派映画である。ポン・ジュノは、犯人探しのスリルだけでなく、未熟な捜査、国家暴力、時代の空気、制度の限界を通して、真実に届かない社会の姿を描き出した。
批評を読む復讐劇・スリラー · 2003
『オールド・ボーイ』は、理由もわからず15年間監禁された男オ・デスが、自分を閉じ込めた相手への復讐を追う韓国の復讐劇・スリラーである。しかし本作の核心は復讐の達成ではなく、復讐が記憶、欲望、操作によって自己破壊へ変わる閉じた物語にある。
批評を読むホラー・社会派 · 2017
『ゲット・アウト』は、黒人青年クリスが白人の恋人ローズの実家を訪れたことから、親切さと歓迎の裏に潜む人種的支配へ巻き込まれていくホラー・社会派映画である。身体を奪う恐怖を通して、露骨な差別ではなく、リベラルな善意や称賛の顔をした差別を暴き出す。
批評を読むホラー・心理ドラマ · 1968
『ローズマリーの赤ちゃん』は、若い女性の妊娠をめぐって、夫、隣人、医師、共同体への不信が増殖していくホラー・心理ドラマである。恐怖の中心にあるのは悪魔そのものだけではなく、女性の身体が本人の意思から切り離され、周囲の人々によって管理されていく構造である。
批評を読むホラー・宗教映画 · 1973
『エクソシスト』は、少女リーガンの異変を通して、近代医療、家族の不安、信仰の揺らぎ、悪の実在を描いたホラー・宗教映画である。恐怖の中心にあるのは悪魔そのものだけではなく、合理的な説明が崩れたとき、人間が何を信じ、誰を救おうとするのかという問いである。
批評を読むホラー · 1980
『シャイニング』は、冬のあいだ閉鎖される山奥のホテルを舞台に、家族の不安と父の暴力が増幅されていくホラー映画である。キューブリックは、幽霊や狂気を単なる超常現象としてではなく、空間、反復、視線、歴史に刻まれた暴力として描いた。
批評を読むサスペンス・ホラー · 1960
『サイコ』は、盗んだ金を持って逃げる女性が、雨の夜に小さなモーテルへたどり着くところから始まるサスペンス・ホラーである。ヒッチコックは観客の視線と共犯意識を操作し、日常的な空間の裏に潜む欲望、母性、分裂した自己の恐怖を映画史に刻み込んだ。
批評を読むSF・ドラマ · 2016
『メッセージ』は、地球に飛来した異星人との対話を描くSFドラマである。しかし本作の核心は侵略や戦争ではなく、言語が人間の時間認識を変え、喪失を知りながら人生を選ぶことの意味を描く点にある。
批評を読むSF・心理スリラー · 2014
『エクス・マキナ』は、AIの意識を判定する実験を描きながら、実際には創造者の支配欲、人間の欲望、見ることと見られることの権力を暴くSF心理スリラーである。エイヴァは人間に似た機械ではなく、人間が作った檻から脱出する知性として描かれる。
批評を読むSF・社会派 · 2006
『トゥモロー・ワールド』は、子どもが生まれなくなった近未来を舞台に、ひとりの妊婦を守る旅を描いたSF社会派映画である。少子化、移民排斥、国家暴力、終末感が重なる世界で、希望は思想ではなく、守られ運ばれるべき具体的な命として描かれる。
批評を読むSF・アクション · 1987
『ロボコップ』は、殉職した警官の身体が企業によって兵器化され、警察権力と資本の論理に組み込まれていくSFアクションである。暴力的な娯楽映画でありながら、企業に所有される身体、民営化される治安、記憶によって回復する人間性を描いた鋭い風刺でもある。
批評を読むディストピア・風刺 · 1985
『未来世紀ブラジル』は、巨大な官僚制と管理社会に押し潰される個人の夢を描いたディストピア風刺映画である。テリー・ギリアムは、書類、配管、監視、誤認逮捕、夢想を組み合わせ、不条理な制度が人間の自由と想像力を奪っていく過程を描いた。
批評を読むSF・アクション · 1991
『ターミネーター2』は、未来から来た機械が少年を守り、人類が機械戦争の運命を変えようとするSFアクションである。前作の殺人機械を守護者へ反転させることで、AI、暴力、母性、未来を選び直す意志を描いた作品である。
批評を読むSFホラー · 1979
『エイリアン』は、宇宙船という閉鎖空間に未知の生命体が侵入するSFホラーである。恐怖の中心にあるのは怪物そのものだけではなく、身体に入り込まれること、企業に命を道具化されること、そして安全なはずの空間が内部から崩れていく感覚である。
批評を読むSF・哲学映画 · 1979
『ストーカー』は、願いを叶える部屋があるとされる謎の領域ゾーンへ、案内人、作家、教授が向かうSF・哲学映画である。タルコフスキーは、未知の空間を冒険の舞台ではなく、人間の信仰、欲望、救済への不安を映し出す精神的な場所として描いた。
批評を読むSF・哲学映画 · 1972
『惑星ソラリス』は、未知の惑星を調査するSFでありながら、宇宙の謎よりも人間の記憶、罪悪感、愛の不確かさを描く哲学映画である。ソラリスの海は外宇宙の存在であると同時に、人間の内面を映し返す鏡として機能する。
批評を読むSF・都市映画 · 1927
『メトロポリス』は、巨大都市の上層で享楽する支配者階級と、地下で機械を動かす労働者階級の分断を描いたSF映画の原点である。都市の垂直構造、機械の神話性、労働者の身体を通して、近代社会が生んだ階級と技術の矛盾を可視化している。
批評を読むSF・恋愛 · 2013
『her 世界でひとつの彼女』は、AIとの恋愛を通して、身体のない親密さ、人間の孤独、コミュニケーションの変化を描いたSF恋愛映画である。サマンサは人間の代替物ではなく、セオドアの愛の形を変えていく存在として現れる。
批評を読む心理スリラー · 2000
『メメント』は、短期記憶を保てない男が妻を殺した犯人を追う心理スリラーである。しかし本作の核心は記憶喪失の謎解きではなく、記憶を失った人間が自分に都合のいい物語を作り、復讐によって自己を維持しようとする構造にある。
批評を読むサスペンス・犯罪 · 1995
『セブン』は、七つの大罪を模した連続殺人を追う刑事たちの物語である。しかし本作の本質は犯人探しではなく、都市の腐敗、正義の無力、宗教的裁きの歪みを描く暗い寓話にある。
批評を読む犯罪・スリラー · 2007
『ノーカントリー』は、麻薬取引の現場から大金を持ち去った男と、それを追う殺し屋、そして暴力の時代に取り残されていく老保安官を描いた犯罪スリラーである。理解不能な暴力は、古い倫理や正義感を無力化し、秩序の崩壊を静かに突きつける。
批評を読む社会派スリラー · 2019
『パラサイト 半地下の家族』は、半地下に暮らす家族と高台の邸宅に暮らす家族を対比し、住宅の上下構造によって階級社会を可視化した社会派スリラーである。ポン・ジュノは、貧困を感傷ではなく空間、匂い、労働、家族の生存戦略として描き出す。
批評を読むヤクザ映画・群像劇 · 1973
『仁義なき戦い』は、義理や任侠の美学を剥ぎ取り、暴力を戦後社会の利害調整と組織政治として描いたヤクザ映画である。深作欣二は、英雄なき群像劇の中で、秩序が崩れた時代に人間がどのように組織と暴力へ飲み込まれていくかを映し出した。
批評を読む不条理・心理ドラマ · 1964
『砂の女』は、砂の穴に閉じ込められた男が、逃げられない労働と反復の中で自由の意味を問い直される不条理映画である。砂は世界を埋める物質であり、労働の反復であり、人間の身体と欲望を変えていく存在でもある。
批評を読む時代劇・アクション · 1961
『用心棒』は、腐敗した宿場町に流れ者の浪人が現れ、二つの勢力を利用しながら秩序を作り直す時代劇である。黒澤明は、暴力を単なる活劇の快楽としてではなく、壊れた共同体を掃除する危険な力として描いた。
批評を読む家族ドラマ · 1953
『東京物語』は、老夫婦の上京を通して、家族の愛情が失われたのではなく、近代化と生活の忙しさの中で少しずつ距離へ変わっていく過程を描いた映画である。小津安二郎は、沈黙、日常、空間の余白によって、戦後日本の家族の変化を静かに映し出した。
批評を読む時代劇・心理ドラマ · 1950
『羅生門』は、ひとつの事件をめぐる複数の証言が互いに食い違うことで、真実そのものの不安定さを描いた映画である。黒澤明は、証言の矛盾を通して、人間が事実ではなく、自分を守るための物語を語る存在であることを暴き出す。
批評を読むSF・心理スリラー · 2010
『インセプション』は、夢の階層を舞台にしたSFスリラーであると同時に、罪悪感に囚われた男が現実へ帰ろうとする物語である。夢は逃避の場所であり、記憶を閉じ込める迷宮であり、現実を選び直すための危険な通路でもある。
批評を読むヒーロー映画・犯罪 · 2008
『ダークナイト』は、正義が勝利する物語ではなく、秩序を守るために正義が傷つき、嘘を引き受ける物語である。バットマン、ジョーカー、ハービー・デントの三者は、正義、混沌、制度の限界をそれぞれ体現している。
批評を読むSF・アクション · 1999
『マトリックス』は、仮想世界に閉じ込められた人間が、作られた現実から目覚める物語である。だが本作の核心は、現実を知ることだけではなく、身体を取り戻し、自分の意思で世界を見直すことにある。
批評を読む心理ドラマ・社会批評 · 1999
『ファイト・クラブ』は、消費社会の中で空虚になった自己が、暴力と共同体を通じて実在感を取り戻そうとする物語である。しかしその解放は、やがて自己破壊と全体主義的な運動へ変質していく。
批評を読む心理ドラマ・犯罪 · 2019
『ジョーカー』は、ひとりの孤独な男が犯罪者へ変貌する物語であると同時に、社会から排除された怒りが象徴を求めて爆発する物語である。
批評を読むアニメ映画・SF · 2006
『パプリカ』は、夢を可視化する技術が現実を侵食していく物語である。今敏は夢と現実、自己と他者、欲望と映像の境界を崩し、メディア時代の無意識そのものを映画化した。
批評を読むアニメ映画・ファンタジー · 1997
『もののけ姫』は、自然を善、文明を悪と単純に分ける映画ではない。森にも人間にも生きる理由があり、暴力にも共同体にも傷がある。本作は、正義同士が衝突する世界で、それでも共に生きる可能性を探る物語である。
批評を読むアニメ映画・ファンタジー · 2001
『千と千尋の神隠し』は、少女の成長物語であると同時に、名前を奪われ、労働に組み込まれ、欲望が暴走する世界で、自分を失わずに生きる方法を描いた作品である。
批評を読むアニメ映画・SF · 1995
『攻殻機動隊』は、身体が義体化され、意識がネットワークへ接続される未来社会を舞台に、人間の自己とは何かを問うSFアニメ映画である。草薙素子と人形使いの出会いを通して、身体、記憶、意識、情報の境界が崩れた世界における新しい存在の可能性を描いている。
批評を読むアニメ映画・SF · 1988
『AKIRA』は、崩壊と再建を繰り返すネオ東京を舞台に、若者の怒り、国家の管理、超能力、身体の変異が衝突するアニメ映画である。都市の暴走と鉄雄の身体の暴走を重ねることで、戦後日本の抑圧されたエネルギーが管理不能になって噴出する瞬間を描いている。
批評を読むドラマ・映画史 · 1941
『市民ケーン』は、新聞王チャールズ・フォスター・ケーンの人生を、死後に残された証言と記憶の断片から再構成していく映画である。成功、権力、メディア支配の物語でありながら、その核心には、他者の記憶によっても完全には届かない一人の人間の孤独がある。
批評を読む戦争映画 · 1979
『地獄の黙示録』は、ベトナム戦争を舞台に、密命を受けたウィラード大尉がカーツ大佐を追って川を遡る戦争映画である。だがその旅は軍事作戦である以上に、文明、帝国、理性の奥に潜む狂気へ向かう神話的な下降である。
批評を読む犯罪・心理ドラマ · 1976
『タクシードライバー』は、眠れない元海兵隊員トラヴィス・ビックルが、夜のニューヨークを走りながら孤独と嫌悪を深め、暴力的な自己救済へ向かっていく心理ドラマである。都市の孤独、男性性の不安、社会からの疎外を描いた作品として、現代にも鋭い問いを残している。
批評を読むディストピア・犯罪 · 1971
『時計じかけのオレンジ』は、暴力的な若者アレックスを主人公に、国家が犯罪をなくすために人間の自由意志を矯正しようとするディストピア映画である。作品は暴力の嫌悪感と管理社会の恐怖を同時に描き、善とは選択できる自由があって初めて成立するのかという問いを突きつける。
批評を読むSF · 1968
『2001年宇宙の旅』は、人類の進化、道具の誕生、AIとの対立、宇宙的知性との遭遇を描いたSF映画である。物語を説明するのではなく、映像と音響によって人間の知性の限界を体験させる作品として、映画史に巨大な影響を残した。
批評を読む刑務所ドラマ · 1994
『ショーシャンクの空に』は、冤罪で刑務所に送られた男アンディ・デュフレーンと、長年服役するレッドの友情を軸に、制度の中で希望を失わずに生きることの意味を描いた刑務所ドラマである。希望は単なる明るい感情ではなく、人間が制度に完全には支配されないための内面的な自由として描かれる。
批評を読むサスペンス・心理スリラー · 1991
『羊たちの沈黙』は、連続殺人事件を追うFBI訓練生クラリス・スターリングの物語であると同時に、見ることと見られることの暴力を描いた心理スリラーである。レクターの知的な視線、捜査機関の制度的な視線、犯人の所有する視線の中で、クラリスは沈黙していた記憶と向き合い、自分の声を取り戻していく。
批評を読む時代劇・集団劇 · 1954
『七人の侍』は、野武士に襲われる村が侍を雇って防衛する時代劇であると同時に、共同体が外部の力を呼び込み、階級差と不信を抱えながら生き延びようとする物語である。勝利の物語に見えながら、その核心には、守る者と守られる者の距離、犠牲、そして戦いの後に残る孤独がある。
批評を読む犯罪・家族ドラマ · 1972
『ゴッドファーザー』は、マフィア一家の犯罪映画であると同時に、家族愛が権力構造へ変質していく過程を描いた悲劇である。ヴィトーからマイケルへの継承は、父の精神を守る行為でありながら、同時に家族を制度化し、愛を支配へ変えていく物語でもある。
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